2022年4月30日 北村倫理、旅の支度

「探さないでください、ってこれ久森サンの字だよね?」
 黒板をなにげなく見ていた倫理くんがすみっこに書いた僕の字を言い当てた。うっ、となる。気恥ずかしい。
「まぁ、そう、だけど」
「ふーん、どっか旅にでも出るつもり?」
「いやそうじゃなくてなんとなくノリで……」
 これは、あれだ。なんか書いとけのノリなのだ。なんか書いとけのノリで探さないでくださいというチョイスをしたことを咎められているような気がしてうあああ、となる。いや変なこと書いちゃったな、我ながら。まぁいいけど。
「どうせならさ、旅に出る準備してみない?」
「え」
「今日はイーターが出る予定奇跡のゼロパーセントだし連休の入りだし暇じゃない? 旅に出ようよ〜久森サン〜」
 そうやって僕の右袖の肘あたりを引っ張ってくる倫理くんは猫のようだ。これは遊ばれているなぁ、と思うけどどうせ僕も暇だし別に付き合ってもいい。そうだなぁ、と考えていつも使っているリュックサックの中身を思い浮かべた。
「旅に行くってどこにいくの?」
「行き先は地獄さ! ボクがいればどこだって地獄だけどね!」
「地獄かぁ、じゃあ結構準備していかないとなぁ」
 地獄に行くなら水は必要だろう。僕はスマホのメモアプリを立ち上げて水、と書いた。
「あとなんだろう」
「軽食とかじゃない?」
 軽食(おやつとか?)、と書いて首をかしげる。地獄に行くにはまだ足りない気がする。
「えーと……路銀はいくらぐらいだろう」
「六文あればいいらしいけど今の金額だといくらぐらいかわかる? 久森サン」
 ええと待ってね、と調べてみると大体二百円から三百円らしい。意外と安い。
「三百円以内で一番遠いところが地獄かな」
「多分そうだね!」
 意外と羽澄市あたりが近いんじゃないかなぁ、と思っていると大体それぐらいだった。仮に羽澄市を地獄と仮定する。
「他になんかいるものあるかな?」
「そうだなぁ、基本は現地調達でいいと思うしこんなもんじゃない? 山に入るんだったらもっと必要だけど」
「山かぁ、Wi-Fi欲しいなぁ」
 かといってポケットWi-Fi持っていってどうにかなるものなのか? 一応メモアプリにWi-Fi? と記入する。
「山に入るんだったらボクがナイフ持ってるし大丈夫じゃない?」
「そうかあ、意外と身軽に行けるんだね地獄って」
 水と軽食と三百円とWi-Fi。他に思いつくものもないしこれでいいか。ポケットWi-Fiは契約してないし今からだとめんどいから携帯の電波を信じるとしてあとは水と軽食と三百円だ。これならすぐにでも用意ができる。
「わぁお、じゃあ地獄行っちゃう?」
「いや一応ゼロパーセントとはいえ待機期間だし行かないよ」
 ちぇーなんでーけちーとくちびるを突き出して文句を言う後輩。まぁ用意しといてそれもなんだし。
「待機期間終わったら地獄行こうか。案内してよ」
「久森サンまじで言ってる? つまんないよボクとの地獄めぐりなんて」
「まぁ羽澄市行ったことないし一回行くのもいいかなぁと思うし」
「オッケー、じゃあ後悔させたげるよ。地獄にご案内だ」
「待機期間終わったらよろしくね」
 のんびり電車に揺られて向かう地獄はどんなところだろう。山に入るのは電波が届かないと思うからできればやめて欲しいけど、きっとのどかな所だろう。北村くんが住んでいるところなんだからそう悪くもないだろう。多分。暇な待機期間が終わったら楽しみができてよかったなぁと思いながら僕は地獄に持っていく軽食を何にしようか考えていた。