北村倫理と助けられた女の子

 ビルの一階が駐車場になっているスペースは格好の隠れ場所だ。静かだし、車の影になってイーターからは見つからないし、避難し遅れた人を救助するヒーロー達の目に留まらないのもいい。私はこうやってイーター警報が出た地域に行ってこっそり隠れてやり過ごすのが好きだった。誰もいなくなった街はとても静かで落ち着いたし、遠く聞こえるヒーロー達の戦闘音が聞こえるのもよかった。誰かから守られているという安心感は私の日常では得られないものだったし、そうして音を聞いている時は父から殴られてできた痣もあまり痛まないような気がした。
 
 その日も私はイーター警報が出た地域に向かい、ビルの一階が駐車場になっているスペースを探して(なるべく車が密集しているところがいい)、隠れていた。しんと静かになった街に、ヒーロー達が駆け足でやってくる音が聞こえた。今日は割と距離が近い、いつもはもっと遠いのに。そんなことを考えながらぼんやりと通り過ぎるのを待っていると、「オッケー指揮官サン、任せといてよ」そんな声が駐車場入り口から聞こえて体が飛び上がるほど驚いた。私は極度の人見知りで、ヒーローなんて眩しい人と面と向かって話すなんてとてもじゃないが無理だった。どこかに隠れてやり過ごすしかない、そう思って慌てていると、駐車場入り口にいたヒーローはスタスタとまっすぐこちらに歩いてきて、無慈悲にも私の隠れている場所をひょいと覗き込んだ。

「はいみーっけ。速やかな避難をお願いしまーす」
 一番奥の車とコンクリートの壁の隙間にある非常用階段の裏。そこが私の隠れている場所だった。絶対見つからない自信があったのにこうも簡単に見つかると思わなかった。

「あ、や、あの」
「ん? どしたの?」
「ひ、避難しないと、駄目ですか」
「……うーん」

 目の前の赤い服を着たヒーローは、少し首をひねって考えている。ドキドキしながら答えを待っているが、もう一刻も早くここから立ち去りたかった。ぎゅっと腕にできた痣を片手で隠すように握る。お願いだから私のことは放っておいて、早くイーターを倒しに行って欲しい。

「一応、何が理由か聞いてもいいかな」
「……特に、理由は、ないんですけど」

 放っておいて欲しい、その一言が言えずに、私は喉の奥から絞り出すような声で嘘をついた。目の前のヒーローは少し困ったようにほおを掻いている。
「まぁここにいたい理由なんてなくてもいいんだけど、その後の対処の方法が選べないんだよねぇ」
「え」
「ここにいたいならいてもいいよ、ここにイーターが来ないように僕らが気をつければいいだけだし。でも、本当にそれでいいの?」
「そ、はい、いいです」
「ふーん……」

 赤い服のヒーローはじっと私の目を見つめてくる。いつもなら目を背けたくなってすぐに目をそらしてしまうのだが、この人は違った。なぜか、嫌ではなかった。

「あのさ、もし死にたくなるほど嫌なことがあるんだったら、シェルター……イーター避難用のじゃないぜ、人的な災害から逃げる用のだ。そいつがあるから、そこに行ってみるといいよ」
「は、い?」
「君、この辺に住んでるの? だったら一番近いのは三丁目のシェルターなんだけど……」
「あ、いえ、その、この辺りには住んでなくて」
「そっかあ、でもだったら尚のこといいかもね、住んでるところから遠いほうがいいでしょ」

 メモか何か持ってる? 僕今持ってなくて、と言われ、慌てて鞄の中を探してぐしゃぐしゃになった紙切れとボールペンを取り出した。恥ずかしくて死にそうになったが、赤い服のヒーローは気にもとめずに避難用のシェルターのものだという住所と電話番号を口にした。
「そこに電話掛けるなり行くなりしてみるといいと思うよ!」
「あ、ありがとう、ございます」
「君さ、まだここにいる?」
「え、あ、……ええと、避難警報が終わる、までは、いたいです」
「そっか、分かった。じゃあここにイーターが来ないように頑張るからさ、一応気をつけてね。あっ、もちろん他の人には言わないから安心して!」
「は、い」

 至れり尽くせりだ。本当に、こんな私の希望を聞いて、助けてくれようとしている。ありがとうございますと言おうとして言えなくて、まごまごしているうちに赤い服のヒーローはじゃあ僕急ぐから! と駐車場から出て行ってしまった。
 その人が走っていく音が遠ざかると、急にしんと静かになった駐車場で、私はメモを握りしめて座り込んでしまった。やがて遠くから戦闘音が聞こえてきて、私は初めてヒーローに怪我をして欲しくないと考えた。今まではずっと遠い存在で、そんなことを考えるような相手ではなかったからだ。ずっと守ってもらっていたのに、なんて非道いことだろうと改めて自分の非情さを恥じた。
 そうだ、ずっと守ってもらっていたんだ。今までも、私の存在を知らなくても。
 急にぼろりと涙が溢れてきたので慌てて拭うと、その動作で腕の痣がずきりと痛んだ。ああ、死にたくない、死にたくないなと、ヒーロー達の戦闘音を聞きながら強く思った私は、その音が止むまでずっとそこでヒーロー達の無事を祈った。
 やがて音が止み、しばらくして警報解除のサイレンが鳴った後、私はふらふらと立ち上がってもらったメモの住所に向かって歩き出した。