2020年7月4日 霧谷柊、あさがお

 夏の朝は涼しくて好きだ。静かで、鮮やかで、過ごしやすい。
 いつも通り早起きすると、珍しいひとと洗面所で鉢合わせた。
「神ヶ原サン、おはよう」
「やあ霧谷くん、おはよう。早いね」
「神ヶ原サンも。なんでこんな早くにいるの?」
「はは……昨日はちょっと逃げまわっててね……でも観念して指揮官さんの部屋でひと仕事終えたところ。さっきデータ送信したから問題はないはずだよ。今から仮眠するんだ」
 はたらき者なのか怠けものなのかよく分からないことを言いながら、神ヶ原さんは歯磨き粉をつけていた。
「指揮官サンは?」
「しきふぁんふぁんもおきてふよ」
 たぶん、指揮官さんも起きてるよ、だ。そう聞こえた気がしたから少しだけ顔を見に行ってみようと思って執務室に向かった。
 コンコンとノックすると、中からはぁーい、という間延びした声が聞こえた。ドアを開けると指揮官さんがの姿がどこにもない。おかしいな、と思って部屋に入ると、指揮官さんがこちらを背にしてしゃがみ込んでいた。その目の前にはあさがおがある。青色と白色の二種類のあさがおが大きな花をつけていた。
「早かったですねえ、お水くんできてくれました?」
「お水……?」
「えっ」
 バッとこちらを振り向いた指揮官さんが驚いてこっちを見ている。霧谷くんか、びっくりした、と言った指揮官さんを見てなんとなくことを把握した。
「神ヶ原サンだと思った?」
「えっ、なんで分かったの?」
「さっき洗面所で会ったから」
「ああなるほど、うんそう。神ヶ原さんにお水汲んできてってお願いしたんだ」
 また指揮官さんがあさがおの方を向く。うすい花びらがカーテン越しの朝日にやわらかく透けていた。
「あさがお、育ててたんだ」
「そう、鉢を頂いてね。綺麗でしょ」
「うん」
 小学生の頃に見たきりの朝顔はどこか懐かしい感じがして、それが大人の指揮官さんとちぐはぐな気がしてなんだか意外だった。
「朝が早いって伝えたら、じゃああさがおなんてどうです、って頂いたの。毎朝起きるのが楽しみになってさ」
 そう言われれば、指揮官さんは意外と朝が早い。俺と朝ごはんが被ることもたまにある。朝早く起きて仕事をしているのかもしれない。指揮官さんの部屋にはレポートを提出する時ぐらいしか来ないから分からないけど。
 でも今日は多分、神ヶ原さんに付き合ってずっと起きていたんだと思う。少し目の下が暗くなっているのを見とめて、もや、とした感情が胸によぎる。
「指揮官サンも、今から寝るの?」
「うーんそうだね、私も少し寝ようかなぁ。流石に一日持たないと思うんだよね」
「そう……何時間ぐらい寝るの」
「んん……二時間ぐらいは寝たいかなぁ」
「二時間」
 そんな睡眠時間、ないも同然だ。紫暮の顔が頭によぎる。なんでみんな寝ないんだろう。
「……ちゃんとジコカンリできてない人は、オトナとしてだめってなにかで見た」
「うっ……耳が痛い」
「……もしかして、普段も寝てないの?」
「……普段は、ちゃんと寝てから起きてるよ」
「……嘘は言ってないけど、全部ほんとじゃないでしょ」
「うう……そうです」
「あさがおのお世話するより、自分のお世話した方がいい」
「ご、ごもっともすぎて返す言葉がない」
「じゃあ、早く寝て」
「お、お水あげてから」
「俺があげとくから」
 指揮官さんの背中をグイグイと押して出入り口に向かわせる。ぱたんとドアが閉まった後、指揮官さんのあさがおのところまで戻ってしゃがみ込む。
「……いつもだって、もう少し寝てればいいのにね」
 本当はあさがおが咲かない部屋の方がいいはずなのだ。だってここは仕事をする部屋なのだから。指揮官さんの目の下が明るくなるまで寝かせてあげられればいいいなと思いながら、お水を持った神ヶ原さんを待つ。
 場違いだけれど綺麗なその花は、なにも知らない顔でゆらゆらと揺れていた。